8月25日は私の誕生日。
若い若いと思っていましたが、気が付けば、39歳。
30代後半は早かったなぁと思いつつ、
29歳で会社創業してから10年目を迎えた。
10年一区切りで考えると、
30代前半は会社創業して、いろんなことに挑戦をしたような気がする。
うまくいっていることを探す方が難しいくらい、失敗の連続だった。
30代後半は、ヒト・モノ・カネ的にも失敗した償いをしているような時を過ごしている。
この10年間は、懸けて行うような仕事をするのだったら、
途中で投げ出すのではく、最後まで懸けてやり通すことの重要さを教えてもらった気がします。
“これに懸けるんだ!”と思ったコトでも、
時に、自分のプライドが邪魔したり、これまでやってきた他のことが気になったり、
他人が気になったり、世間が気になったり、
懸けるんだ!と思った自分はどこに行ったんだと思うくらい、
自分の中に迷いや戸惑いが生じて、コトに対して、中途半端になってしまう。
もちろん、中途半端にやることに成功などある訳がない。
そうして自分でも認める失敗は出来上がるのだろう。
失敗したって立ち上げればいい
って歌の歌詞や誰かの言葉にあるが、
失敗から立ち上がるには、挑戦した時よりも倍くらいの時間を要する。
おそらく挑戦を試みていない人は、そのことを知っていたんだろう。
なんだか、それって当たり前じゃないって言われるようなことを行ったのが、
30代だったかもしれない。
これから40代へ向けて、このことが糧となるようにしていかなくてはならない。
20代で仕事を必死に頑張った糧が、
30代で独立という次のステージへ運んでくれたのだから。
20代・30代の糧は、
次のステージへ運んでくれるのだろうか。
もう運んでくれているのか
「40にして迷わず」までは、しっかり迷い悩みます。
2018年08月25日
2018年08月11日
新盆
新盆で実家の宮崎に帰ってきている。
今年、会社設立10年目に突入した。
だけど、僕は何をやっていたんだろう・・・と
実家に帰って母の仏壇を目にすると思ってしまう。
会社を創ってから、親を省みず、仕事に打ち込んできた。
うまくいくことは数少なく、大抵はうまくいかないことが多い。
そんなことは百も承知の上で、とにかくトライ&エラーだ。
うまくいかないことから学ぶことが多いなんて、
きれいな言葉を自分に浴びせながらやってきた。
思っていたより社員も増えず、
売上は右肩上がりから途中から横ばい、
固定費は増え、融資の返済に追われ、
気が付けば、思い描いた10年目とは程遠い。
そんななか、今年の1月に母が他界。
会社が順調だったころは、年に数回、顔を見せに実家へ帰ったり、
電話をよくしたりしていたが、
数年前から売上横ばいになり始めてからは、年に1回帰るのがやっと。
電話も仕事中だと言って出ないことが多くなっていった。
1月7日の早朝、目の前で母が他界した。
他界する直前にもっとああしていればと後悔した後、
この1年間にもっとああしていればと後悔、
この数年間にもっとできることがあったのではないかと後悔、
そして、僕は会社を創って何をやっていたんだろう、と。
誰のために何がしたくて、親を顧みずにがんばっていたのか、と。
今回も気が付けば、新盆。
49日が過ぎて早5か月。
僕には、つい昨日、亡くなったような気分になるくらい
東京にいる時は、母のことを忘れて仕事に追われている。
仏壇の前で母に問いかけると、
「なにいっちょっとね! 誰が帰ってきてほしいって言った?
東京でがんばっちょちゃろ! 東京に行きたいっていっちょったがね!
私が腹痛めて産んだ子よ、東京でがんばんない!」
いつもこの言葉が返ってくる。
子供のころから恥ずかしいくらい人前で僕のことを自慢していた母は
まだ向こうの世界でも僕の自慢をしているのだろうか。
母が自慢できるようなことを僕は東京で出来ているのだろうか。
新盆、僕にとっては、まだ亡くなって5日目くらいの気分だ。
まだまだ僕には何かが足りない。
そう感じる新盆を迎えています。
今年、会社設立10年目に突入した。
だけど、僕は何をやっていたんだろう・・・と
実家に帰って母の仏壇を目にすると思ってしまう。
会社を創ってから、親を省みず、仕事に打ち込んできた。
うまくいくことは数少なく、大抵はうまくいかないことが多い。
そんなことは百も承知の上で、とにかくトライ&エラーだ。
うまくいかないことから学ぶことが多いなんて、
きれいな言葉を自分に浴びせながらやってきた。
思っていたより社員も増えず、
売上は右肩上がりから途中から横ばい、
固定費は増え、融資の返済に追われ、
気が付けば、思い描いた10年目とは程遠い。
そんななか、今年の1月に母が他界。
会社が順調だったころは、年に数回、顔を見せに実家へ帰ったり、
電話をよくしたりしていたが、
数年前から売上横ばいになり始めてからは、年に1回帰るのがやっと。
電話も仕事中だと言って出ないことが多くなっていった。
1月7日の早朝、目の前で母が他界した。
他界する直前にもっとああしていればと後悔した後、
この1年間にもっとああしていればと後悔、
この数年間にもっとできることがあったのではないかと後悔、
そして、僕は会社を創って何をやっていたんだろう、と。
誰のために何がしたくて、親を顧みずにがんばっていたのか、と。
今回も気が付けば、新盆。
49日が過ぎて早5か月。
僕には、つい昨日、亡くなったような気分になるくらい
東京にいる時は、母のことを忘れて仕事に追われている。
仏壇の前で母に問いかけると、
「なにいっちょっとね! 誰が帰ってきてほしいって言った?
東京でがんばっちょちゃろ! 東京に行きたいっていっちょったがね!
私が腹痛めて産んだ子よ、東京でがんばんない!」
いつもこの言葉が返ってくる。
子供のころから恥ずかしいくらい人前で僕のことを自慢していた母は
まだ向こうの世界でも僕の自慢をしているのだろうか。
母が自慢できるようなことを僕は東京で出来ているのだろうか。
新盆、僕にとっては、まだ亡くなって5日目くらいの気分だ。
まだまだ僕には何かが足りない。
そう感じる新盆を迎えています。