2022年5月14日に槇原敬之さんのコンサートが立川ステージガーデンで実施された。
あの逮捕があって以来の復帰のコンサートだ。
最初に復帰アルバムの曲から始まると、
いきなり代表曲であり、いつもコンサートの終盤で歌われることの多い
「どんなときも」が流れ始めた。
Bメロでいつものように1回、2回、手をたたいたあと、こぶしを突き上げる。
コンサートでは聞きなれていた曲なはずだけど、すでにウルっときてしまうのは、
またこの瞬間が訪れたことと前と変わりのない様子に安心したからなのかもしれない。
そうして、冒頭の3曲が終わると、槇原敬之さんの何か様子がおかしい。
しきりに目のあたりをタオルで拭いている。
汗かきだから汗をかいているのかな、と思ったが、
涙をぬぐっている様子がうかがえた。
泣くことは期待していなかったが、
そのくらいの思いでステージに返ってきたことにこちらも嬉しく思った。
そして、槇原敬之さんが涙をぬぐいながら話をした
「槇原敬之のファンということを言いづらくさせてしまったこと」
と伝えてくれた。
マスクをして、声を発してはいけない会場に、
「そんなことはないよ」「大丈夫」という声が聞こえた気がした。
僕も同じように「そんなことはないよ」という思いだった。
ただ、確かに言いづらくなったのは事実だった。
「槇原敬之のファンなんです」なんて伝えると、
「あ〜あの覚せい剤の〜」と、大抵の人が反応してくる。
槇原敬之さんが20年前に覚せい剤をしたときには、
僕も大学生で、そこまで大人と接する機会も多くはなかった。
今は、40を過ぎて、周りは大人しかいない。
そうすると、反社会的な印象をもつ覚せい剤を所持していたというのは、印象はよくない。
まして、僕は同時にASKA ファンでもあるから、なおさら、みんなの反応は強くなる。
その反応に対して、僕は、
「覚せい剤してもいいけど、見つからないでほしい」と笑いに変えるように反応返す。
僕は槇原敬之の曲に影響されてきたファンの一人なので、
正直、もはや何をしようが、構わない。
むしろ、調子に乗る時期もあれば、奈落の底に落ちる時期もあるくらい浮き沈みが激しい方が、
その心情に寄り添った琴線に触れるような素晴らしい曲を書いてくれるのではないか
と期待をしている。
そんな個人の期待は関係なく、槇原敬之のファンだとは言いづらくなっていたのは確かだ。
僕らの仕事に置き換えてみると、
ファンではないものの、僕を信用してくれて、または会社を信用してくれて、
仕事をお願いしてくれる顧客がいる。
僕も顧客の発展を願うし、顧客も僕の会社の発展に期待してくれている。
だからこそ、仕事を任せてもらえていると思う。
それは、ファンとは少し違うけれど、
「○○さんだから・・・」と信頼されていることに他ならないように思う。
その信頼に応えようと一生懸命頑張っていると、
知り合いにも紹介してくれたりする。
僕ももっと顧客に貢献できることは何か考えようとする。
その良い循環が回って、かけがえのない存在となっていって、
成功事例で紹介したり、取引先企業で紹介したり、
更にビジネスは続いていく。
そこで、僕が不祥事を起こしたら、どうなるだろう。
顧客が不祥事を起こしたら、どうなるだろう。
取引停止は免れない上に、
あの人と、あの会社と付き合っていた?
と後ろ指刺されるようなことになってしまうのだろう。
せっかく紹介してくれるほど、気に入ってくれていたものが、
逆にサービスを受けていたことを隠さなければいけない事態にもなりかねない。
「たとえ、どんな不祥事があってもビジネスを一緒にしていく」と
決めていたとしても、周りの反応に影響されていくことだろう。
それでも一定期間が過ぎた後に、
ビジネスを再開してくれたならば、僕は間違いなく
”僕の会社のファンということを言いづらくさせてしまったこと”
を謝罪することだろう。
みんな社会で生きている以上、
誰かに支えられ、誰かに気に入られて、自分が存在している。
誰にでも大切な存在(ファン)がいるということを改めて感じさせれた。
コンサート初日に、槇原敬之さんが涙をぬぐいながら話をした
「槇原敬之のファンということを言いづらくさせてしまったこと」
と伝えてくれたことから、僕らが学ぶべきことがあるのだろう。