2023年、自分への戒めとして、
今年気づいた経営者としての過ちについて、
語らせてください。
1.採用のものさしを案件ではかる
人を採用したいけれども、人件費を払っていけるか不安。
でも、仲間を募りたい。
「そうだ、採用する前に案件の面談をして、
面談を通れば正社員として採用とすればいいのだ」と考え、
人を採用するときに、当社に採用する前に案件の面談をして、
その面談を採用された後、当社への採用を決めた。
よし、これで彼の年収の7割がたは大丈夫だ。
と胸なでおろした。
すると、彼は入社してから数日も経たないうちに休み始めた。
3か月後からの入ってもらう案件の準備をさせていたのだが、
その準備に対して、精神疾患を患ったようだ。
そんなことでは困るとそのまま続けさせたら、
1か月後には、もっと重い精神疾患で
6か月の休みが必要と記載された診断書を持ってきた。
1か月後には案件は入社する前に決まった大きな案件が控えているのだ。
このまま辞めてもらったら、この数か月の人件費を浪費しただけだ。
なんとしてもやってほしい。
だけども、こんな精神疾患が分かっていて、
顧客へ向かわせたら、それこそ責任問題だ。
あえなく顧客へ謝罪し、案件から外してもらった。
大変迷惑をかけた。
彼も退職することとなった。
目先の利益があるから・・・
といった判断基準で動いた結果がこういうことを招いたのだろう。
そういった経営判断をしていたと思うと恥ずかしくも思うが、
なんといっても利益を出さなければ社員を雇ってはいけない。
そんなこともコトが起こってみると未熟な意識に思えてくる。
2.できもしない理想を採用の時に伝える
サラリーマンの時に、営業で成果を上げていたにもかかわらず、
給料が上がらず、会社に不満を持った経験がある。
自分が雇う人たちには、そんな思いをさせたくはない。
そんなことも思っていた。
私は「成果を出す人にはそれなりの金額を払うから」と伝えていた。
そうすると、実際に成果を上げてきた社員。
成果を上げた、年収の何倍はあげているだから、最低この金額はほしい。
もっというと、これ以上成果を上げると成果報酬で何%ほしい。
と話してきた。
それは・・・就業規則にそんなことは書いていないし、難しい
なんて伝えると、
「今村さんは、成果を出す人にはそれなりの金額を払うからと
言っていたじゃないですか、それを信じてがんばりました。
だから言っているんです。」
あ・・確かに私は伝えていた。
ただ、実際にそういわれていると、
会社経営している人件費以外にも、たくさんに費用がかかる。
せっかく稼いでくれたお金をその人だけに還元していたら、
会社の発展はとてもできない。そう分かってしまった。
かといって、経営者として言ったことをやらないことは信用を失ってしまう。
私は応じることとした。
この判断が後で間違っていたことは予想はつくだろう。
おそらく私が思っている
「成果を出す人にはそれなりの金額を払うから」というからには、
しっかりとした資本力があってこそ、できること。
こんな吹けば飛ぶような零細企業の社長が言うべきことではなかったのだ。
私は、20代のころ、会社へ身を粉にして働いたものだ。
任された仕事を遂行するように一生懸命がんばった。
その経験もあって、人を雇う時に
「仕事すれば他に何やってても構わない」
「在宅でも指示したことを納期通りやればよい」
というようなことを伝えていた。
そうすると、任した仕事だけを行っている社員、
納期通りに任した仕事を行っている社員となっていた。
かたや、会社にきて時間で働いている社員がいる。
時間内にできることはないか、一つの仕事が終わったら、
何かほかに仕事はありますか。
と問いかけてくる。
予想以上に仕事ができるのだ。
すかさず、これもやってもらえますか、
と自分で抱え込んでいた仕事を任せていく。
かたや、「仕事すれば他に何やってても構わない」と伝えてしまった社員は、
自分の仕事が終わったと思えば、ずっとネットをみている。
かたや、「在宅でも指示したことを納期通りやればよい」と伝えてしまった社員に、
「今、どんな状況ですか」とchatすると、数時間後に返事が返ってくる始末。
確かに
「仕事すれば他に何やってても構わない」
「在宅でも指示したことを納期通りやればよい」
と伝えてしまっていた。
今更、発言を撤回しては経営者として言ったことをやらないことは
信用を失ってしまうのではないか。と感じてしまう。
この判断が後で間違っていたことは予想はつくだろう。
おそらく私が思っている「仕事すれば他に何やってても構わない」
「在宅でも指示したことを納期通りやればよい」というからには、
それなりの会社としての規則やルールがしっかりとして初めてできること。
こんな規則ルールも「社長が言うこと」というような零細企業の社長が
言うべきことではなかったのだ。
今年の大河ドラマのどうする家康で、
石田三成が家康に「まかやしの夢を語るな」と捨て台詞が新しい。
これは、戦乱を求める心がある限り、安寧の世をつくるなど、
まやかしだと真意をついていた。
できもしないことを、まやかしの夢を語っていたのだろう。
まずは共に頑張ってほしい、共に会社を創ってほしいと思うのであれば、
採用の時に違う期待を招くような、
まやかしを語っては経営者として誤りなのだろう。
3.伝えるべきポイントの危うさ
言いたいことを言っていたら陰口を叩かれたり、
少しの不満を伝えるとその数倍ぐらいのことで返される。
そんな20代だった。
人を雇うのであれば、風通しによい、
社長の私にはなんでも言えるような会社を創っていきたい。
そんな思いもあった。
そうして、
全社交流の場で不適切な発言があったとしても、その人の個性だと流す。
個別に社員への不満へ指摘があったとしても、伝えてることが活性化だと促す。
そんなことの一つ一つが、積み重なり大きな問題へと発展していく。
本当は、適切なタイミングで、しっかりと指摘する姿勢をもっていれば、
こんな状態にならなかったのではないか。
そんな事態につながる出来事もあり、大いに反省です。
言わなくてもわかるの美学、それぞれが考えてくれることの自主性
そんな綺麗な幻想に飲み込まれるようなことはないだろうか。
伝えるポイントを少し間違うだけで、こんなにも問題は発展するのだと
痛感した2023年でした。
”2024年に15周年を迎える”という綺麗なことをいう自分が
聞いて呆れる状況が、2023年の自分にはありました。
ここで気づいた過ちを自分の糧にして、
来年を迎えていきたい。
15年経っても零細企業は零細企業。
利益を追求するのはよいかもしれないが、利益を人のものさしにしていはいけない。
夢を語るのはよいかもしれないが、まやかしを語るのはいけない。
人を信じるのはよいかもしれいが、人を盲信するのはいけない。
自分を戒めて、来年を迎えたい。
2024年は良い年になりますように。