昨日、槇原敬之さんが
10月27日のアルバムで復帰することが発表された
覚せい剤で逮捕され、
執行猶予が残っているにも関わらずやや早い復帰なことは否めない。
せめて執行猶予期間中は自粛するのが筋だろう。
ただ、もし、
曲を作っても発表する場もなく過ごしていたら、
どうなるのだろうか。
時間があまり過ぎて、
また覚せい剤に手を出すのではないだろうか。
もしくは、
もっと良からぬことを考えてしまうのではないだろうか。
そんなことも頭によぎる。
槇原敬之さんの歌で、曲で、
人生の時々で影響されて生きてきたファンの一人としては、
槇原敬之さんが誰を好きであろうが、何をしようが構わない。
誰を好きでどう行動したことによって、できた曲でも、
悪いことをして良いことをして、できた曲でも、
その曲を聴いた僕らが何かを感じとり、
自分の気持ちや行動に影響を与えてくれるのなら、
その曲は素晴らしい曲だといえるのだろう。
専門用語的に言うと、歌詞を聞いてメタ認知から内省し、
概念化を行い、ポータブルスキルとして自身の行動に反映する
とでも言うのだろう。
少なからず、
これまでの槇原敬之さんの曲には、そういった影響があった。
具体的に書かれたフレーズ、抽象的にかかれたフレーズ、
それを自分なりに解釈して、
まるで自分の人生のオキテのように感じて行動に反映させる。
私は、そのことを「槇原敬之に学ぶ人生のオキテ」と題して、
Facebookページで投稿してきた。
その影響された曲の中には、実体験もあるだろうし、
想像で作られた曲もあるだろう
以前、槇原敬之さんがコンサートで、
家族と話していた実体験をもとに曲になっていることや
実体験ではなく想像で作っている曲のことを話をされていた。
実体験であれ想像であれ、
何かしらの出来事が引き金となって作られたのだろう。
その引き金となる出来事が今回のことであれば、
また僕らに教訓を与えてくれるかもしれない。
簡単に考えると、
”一度犯した過ちをもう一度繰り返してしまう”
ということも挙げられるが、
実体験をした本人でしかわからない題材が待ち受けているのだろう。
僕らが曲を聴いて、どういった内省ができるのか楽しみだ。
21年ほど前に発表された復帰アルバム「太陽」では、
これほどにない内省されたと思われる曲で綴られていた。
おそらく槇原敬之さんの発表したアルバムの中でも
トップを争うくらいのファンからの人気ではないのだろうか
実体験から内省した歌詞と想定できるからこそ、
曲を聴く人には刺さるのだろう。
先日、同じように覚せい剤から復帰した
ASKAさんも同様なことが見受けられた
復帰アルバム「To Many People」は、
ここまで自分のことをさらけ出してもいいのかと思えるくらい
内省をしているように感じ、
曲を聴いた人には実に刺さるアルバムだった。
「ミュージシャンは、こういったことを起こしても復帰できるからいいなぁ」
とヤフーの書き込みでもよく目にする。
でも、復帰できていない人もいる。
その違いはなんだろうか
と考えると、
それは日ごろから、
作品に等身大の自分をさらけ出しているかどうかなのだろう。
Mr.childrenの桜井さんが不倫をした後に曲を出したり、
福山雅治さんが父親や祖母を題材に曲を出したりするように、
多少脚色するだろうが、
自ら体験したときに感じたことをさらけ出している。
こういった姿勢があるからこそ、
何かあったときでもファンは待っているし、
復帰できるのだろう。
もし仮に、槇原敬之さんが謝罪とするならば、
覚せい剤をしたことに対して謝罪するのではなく、
僕らが内省できるような曲を聴く
機会を奪われたことに対して謝ってほしいものだ。
そして、取り繕ったような綺麗な曲だけしか書けなくなったとき、
そんな時は心からファンに謝罪してほしい。
きっとそんなことはないと信じています。
2021年09月07日
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