2008年03月30日

さくら

東京は桜がきれいな季節になりました。

雪が溶け、路面凍結の可能性がなくなった
“第2のふるさと”福島へ向かう車の中。

首都高で東京のきれいな桜を見た後、
東北道に入ると、徐々にさくらがなくなる。

那須高原SAで、「鮎」と「がんこじんさいのソフトクリーム」を
食べるときは、桜なんて考えられないほど、
まだ寒い。

思えば、10年前。
桜が散る季節の宮崎から桜が咲く季節の福島へ
引っ越したことを思い出した。

あの頃見た桜と今見る桜はどうしてこんなに違く映るのだろう。

桜のきれいさは毎年変わらないはずなのに、
自分の心境と見る場所により、
心の目はこうも違って見える。

形だけではない。
歌も中学生時代に聞いていた槇原敬之の曲でさえ、
年をとると違って聞こえる。

“経験”の調味料がいろんなものを美味しくさせる。

「経験をしたほうがいい!」
なんて良く聞くが、
美味しい調味料に出会えるチャンスが、
たくさん転がっているのだろう。


そして今日もまた
昔と変わらず競馬の予想をしている。
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2008年02月25日

アジアの教育現場と国際協力(レポート)

本日(2月24日)は、
東京国際フォーラムで開催された
「アジアの教育現場と国際協力」
http://homepage.kokushikan.ac.jp/ajrc/documents/leafletcomp.pdf
に参加してきました。

3人の方が講演を行い、最後にパネルディスカッションを
行うといった内容だった。

最初は、
(社)シャンティ国際ボランティア会事務局長
http://www.sva.or.jp/
茅野俊幸さんだった。

最初だったせいか前座ということを気になされて、
話をしていた。

日本で使用済みの絵本を発展途上国の子供に現地の言葉を
にして絵本を渡す図書事業を行っているらしい。
現地の子供に読み聞かせを行うと、子供が熱心に聞き入るという
その子供達の姿を見ていると援助せずには要られないという。
この援助を通して得たものを日本に還元していきたい
と話をしていた。

日本ではこうした「図書の読み聞き」を
もうやらなくなってしまった現状があるという。
なぜ、日本で出来なくなって、発展途上国で出来るのだろう。
もしかすると発展途上国が発展し、先進国なみになると
本は読まなくなるのでは。
なんだか心の持ちようのような気がしてならない。

もっというならば、その子供達に本ではなく、
ゲーム機(プレイステーションなど)を与えたら、
どんな反応をするだろうか。
どうも楽しいことに飢えていて、
知らないことへの興味に熱を帯びていると感じてしまう。


2番目は、
JHP学校をつくる会(http://www.jhp.or.jp/
代表の小山内美江子さんだ。

有名な方だが、78歳で元気に活動なされていることに
びっくりしながら話をきいた。

内容は、現在200校近く発展途上国に学校を作っている
話を中心に活動内容とこれまでの経験を話された。
一番印象深かったのは、仏教・キリスト教・イスラム教と
三大宗教の共通点は「助け合いの精神」
(満ち足りている人は足りていない人へ)
であると聞いた。知らなかったのは情けないが、
そんな共通点があったのかと改めて実感した。

他の国へ行き、援助をすることで、
自己成長につながるという。
立派な経験だといつも感心する。
現地の人から「もっと使える人を・・・」の声もあったらしい。
他国にいき、成長するというなら、
発展途上国の人も日本に来て成長する場が
あったもよいのかもしれない。
それはホームステイなどではなく、
実際の職場で成長できる環境があれば、
相互成長につながっていくのではと感じた。

3番目は、
国会議員の山谷えり子さん。

教育再生会議の話を中心になされた。
「ゆとり教育」の中では、「都道府県の県」もいえない、
「日本の歌」を知らない、「君が代」すら歌えない
と嘆いていた。
ゆとり教育を見直し、放課後・土曜日の地域との交流の場を
増やすという。
「世界をするためには自国を知り、宗教を知り、思想をしる」
のだとイギリスのサッチャー首相が行った事例をもとに
話をされていた。

確かに精神論は現在の日本に必要と思う。
ただこれだけなのだろうか。
いや、その思想を教えたいというのはいいが、
教える側はその準備が出来るのであろうか。
結局、机上のものに過ぎなくなるであろうと
容易に想定出来る気がする。

最後はパネルディスカッションであったが、
時間がなくなった関係で、自己紹介が中心で終わってしまった。

その中で、
“「発展途上国」は「先進国」に劣っているわけではない”
という発言が頭の中に印象深く刻まれた。

じゃあ、「途上」とか「先進」とかいうなよ!って思うが。。

僕はこの手の話を聞くときにどうしても
「発展途上国」の将来像が気になる。
先進国が援助をしたときに最終的に「先進国」のような国に
したい(なりたい)と思っているのではないかと
考えてしまう。
そのために学校を作ったり、電気・水道を引いたりする。
しいては、「先進国」のような環境破壊を推進しているようにも
捉えてしまう。

しかし、彼らはいう。
「日本人がその国に木を植えるのにはお金がかかる。
 現地民に植えてもらいそのお金を援助する。」

そう理路整然と話をして、
あたかも正当な意見のように聞こえる。

では、本当に「発展途上国」の人は木を植えたいとだけ
思っているの?
では、日本は木を植える人がなぜ少なくなったの?
と問いかけたい。

確かにCO2の問題があり、環境にお金を出す風潮があるが、
その理想を実現するのであれば、
国境関係なく、日本も途上国も個人に焦点を当て、
「豊かそうに見える日本で貧しい心で生活する」
「貧しそうに見える他国で豊かな心で生活する」
そんな選択肢を個人が選ぶ時代がきてもいいのではないか。
と感じた。

途上国と先進国の相互関係をもっと考えるべきでは
と感じた。

最後になりましたが、
今回は国士舘大学の中山雅史助教授のお誘いで
拝聴させて頂きました。
貴重な体験をありがとうございました。

いろいろと自分の意見も加えて、
違った目線を意識したため、批判じみた着色をしましたが、
率直な感想としてお許しください。
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2008年02月18日

自己満足の重要性

「ビジネスの中ではストレス発散が重要」って
よく聞く。

ストレスが溜まると仕事の効率が落ちたりするから、
適度に発散しないと重要だっていう。

ストレス発散ってなんだ??
何をすることがストレス発散なんだ??
「いろんな趣味をすることだ」という。

だから社会で生き抜くためには、
仕事とは違う趣味が必要なんだ。

趣味は特技とは違うから、
自己満足の世界にあるということなのです。

特技は自己満足ではいけない。
他者に“すごい”と思われて、特別な技の「特技」
自分の興味があることに趣くから「趣味」


僕は音痴で、運動神経が悪い。
子供の頃から分かっている。
体育や音楽は常に「2」たまに「1」や「3」
もあったりした。

なのに、カラオケに行ったり、マラソンをしたりしている。

そこには大切な“自己満足の世界”がある。

カラオケで思いっきり熱唱する。
マラソンで自分の限界を感じながら、
自分のたてた目標に向けがんばる。

誰に文句を言われるでもない、言われたたくない。
居心地の悪い人ととは一緒にしない
そんなところが自己満足の世界だ。

詩を書いたり、曲を書いたりするときも
他人はどう思うか分からないが、
自分の心にはどんな曲よりも響く、まさに自己満足だ。

そんな自己満足を自分でしっているから、
ビジネスでは、他者満足を考えたくなる。

自己満足はビジネスでは許されることのない。
ビジネスでは常に違う人の尺度も考えなくてはいけない。
だから、趣味では大いに自己満足しよう。

そのことがゆくゆくは、
仕事で必ず生きてくるはずだ。

良い仕事をするためには、
自己満足が重要だと思う。


そして今日もまた自分の自己満足を汚す
誰かの一言に胸を痛める。
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2008年02月08日

満員電車の憂鬱

「おい!じじぃ!バックに足が当たってんだよ!!」
「しょーがねーだろー満員だからあたっちゃうよ!」

20代後半くらいの青年が60過ぎているくらいの高齢者に
言いがかりをつける。

繰り返される満員電車のイザコザ。

体をくっつけて、ぎゅうぎゅうになった人たちは、
別の方向をみて、触らず、当たらず、知らないフリ。

言いがかりをつけられた方は、
持っていた本に目をやり、相手の方のつり革を握り、
自分の目線を避け、相手の目線が当たらないように避ける。

文句を付けた青年は、
そのような態度にまた怒鳴りだす。

青年:「おい!避けるなよ!、当たってるっていってんじゃねぇか!」
高齢者:「だから、しょーがねぇーだろーあたっちゃうんだから!」
青年:「おい、次の駅で降りろや」
高齢者:「なんで指図されなきゃいけないんだ」
青年:「じゃあ、避けんなよ。目をそらすなよ」
高齢者:「だったら、どうすりゃいいんだよ〜」

そこで、青年は、
青年:「謝れよ、ごめんなさいの一言も言えないのか!」
高齢者:「あぁ、じゃあ、ごめんよ」
青年:「なんだよ、その態度。むかつくな!」

そう結局こんなものだ。

その後、謝罪を求め続けた青年は、
次の駅で降りた。

ここは、
“あいさつ”に飢えている人達が集まる街。

「ありがとう」や「ごめんなさい」は
人へプラスもマイナスもどちらの力も与える。

相手が飢えると自分も飢える。
日頃から“あいさつ”をしていこう。
でないと飢えてしまい、
全く関係ない人に当たってしまうのだろう。


そして今日もまたコンビニで、
店員の「ありがとうございます」に
愛想なく無言で買い物をする。
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2008年02月06日

紹介

昨日、僕の愛車「ステップワゴン」が11年目を向かえ、
車検に出した。

どこの車屋に出そうかと思っていたが、
結局、顧客の紹介してもらった民間の整備屋に出してきた。
お金はそれなりにかかった・・・
おそらく別を探せばもっと安くで済んだかもしれない。
でも、調べずに紹介されるがまま車検に出した。

最近の僕は紹介ということを素直に受け止めようと考えている。

自分が信頼する・信頼したい人が紹介してくれる所、人、本。

それはその人と人間関係を築く術になる。
僕は喜んで紹介をうけ、喜んでサービスを受ける。
人の紹介を受ける。本を読む。

「え?ホントにそれでいいのか??」
「そのうち騙されるんじゃない??」

何度も騙されたと思う経験をした僕にとっては、
騙されようが騙されまいが関係がなくなってきた。
もちろん、騙されたと思う悔しさは計り知れないものだが、
最近は“騙された”と思う未熟な自分に嫌気がさしてきた。

信頼したい人を思いっきり信用していいんじゃない。
その人が僕のコトを思って、
紹介してくれるんならいいんじゃない。
少し高くたっていいんじゃない。
その人が思ってくれているのであれば。


“紹介したい”と思われる自分で在りたい。



そして今日もまた閉店間際のスーパーに行き、
安くなった惣菜を買おう。
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2008年02月03日

昔の顧客

数年前にお世話になった顧客の担当者。
今は、別の部署に行ったり、別の会社に行ったり、
地方に行ったりして、僕の営業先ではなくなっている。

今でも「飲みに行こう」と誘ってくれる。

僕は本当に仕事をやっていてよかったなぁ。
営業やっていてよかったなぁ。
と改めて感じる。
営業冥利につきると感じる。

営業は会社から売上を追求される。
従って、どうしても商品を売ろうと考えてしまいがちだ。
“自社の商品を買ってもらえるかどうか”
それが顧客の判断基準となってしまう。
会社の運命を背負う営業にとっては仕方のないことだ。

ただ、営業という職業が存在する中、
顧客が何を望んでいるかを考えていきたい。

商品を買うだけであれば、
営業なんて誰だってよい。
システムの人だって、若い愛嬌のある女性だって
年取った面倒の良い人だって、誰だって良い。
そうだったら、営業なんて職は必要ないということに
営業である僕らは気づかなくてはならない。

「営業は顧客から育てられる」

よく聞く言葉。
営業職というのは、
顧客に何かを期待をさせる職業でなくてはならない。

顧客が営業に望んでいることは・・・
自分(顧客)が営業から商品を購入することにより、
営業が成長する・売上があがる・出世する
ことを望んでると感じなければいけない。

僕の名刺には役職はないが、
顧客はいつも「今村さん、まだ出世しないの?」と僕に言う。
社交辞令だとしても嬉しいものだ。

営業は自分に価値を創れる仕事であることを
感じなければいけない。

だから常に顧客が興味を持つようなことを
自分が知っていたい、やっていたい。
だから僕はまだまだいろんなことに挑戦をしたい。

それは、現顧客だけではなく、顧客でなくなった顧客からも
“会いたい”と思われる自分でいたい。
という思いが僕を動かす。

営業職って自分のことを考えると売り上げなんて、
関係なくなるんだ。

“幸せは人間関係から創られる”
誰もが知っているはずなのに、
忘れているフリをするときがあるんだな。
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2008年01月15日

栄枯盛衰の及第点

今年の正月、宮崎は寒かった。

毎年恒例の「えびの高原・韓国岳」への初日の出登山を
期待していたが、登山口に行くまでもなく、
車が雪で坂を登らなくなった。
チェーンも途中で切れてしまうくらい空回りをした。

しょうがなく、道の途中で初日の出を仰ぐことになった。

山も一年、一年、顔を変える。
昨年も・・・だから今年も・・・ということはない。

今まで何度も初日の出登山をしているが、
路面に雪が積もっていたのは初めてだ。
南国が聞いてあきれる。

南国ってことも、
昔はそうだったんだろう。

さて、宮崎の県番組を見ていると
東国原知事が良く出ていた。
普段、東京にいて目にしていたが、
こんなに地元の番組に積極的に出ているとは思わなかった。

“この宮崎ブームがなくなったあと、
 どれだけ高止まりしたまま保てっていけるかが勝負”

くりかえし、述べていた。

そして、今日。
テレビ東京の
カンブリア宮殿(http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria)に
東国原知事が出ていた。
ちょっと他のタレント知事との比較が多すぎたように感じたが。

村上龍の考えやコメントも面白くて好きだ。

知事は、宮崎で話していたことと同じように「高止まり」と
共に地方の苦しさ・中央のだらしなさを語っていた。

本当に宮崎の苦しさを身に感じてきた僕は、
素直に知事の言葉に同感する。

もし、東九州に高速道路が走っていれば、
僕の出身である延岡はもっと発展していただろうに。
いまや、台風で損害した高千穂鉄道ですら、
復興できずにいる。

その背景には、裏金と言われる民間との癒着による
予算の使い方もあるのだろう。

道路族なんて呼称の呼ばれ方をして、
財源の無駄遣いなどと指摘され続けたと思えば、
その一方で無駄遣いをしているように思える。

もっと必要なところに必要なことに使えればなぁ。

ただ昔はそうだったんだろう。

みんな高い志をもっていたんだろう。

昔はそうだだったんだろう。

イイときをイイままに保っていくことが
いかに難しいことか。

この世の中は“栄枯盛衰”の「くりかし」というこを
僕らはわかっているのだけれど、
栄は枯れないと誰もが信じている。

そして僕はいまだに、
14年前の正月に将棋で宮崎県1位になったことを
誇らしげに話している。

何事もどこかに及第点を。
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2008年01月02日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

私の年賀状をご覧になって、
いらしたかた、今年もよろしくお願いします。

結婚もしていないのに、
自分の写真入りで失礼をしました。
昨年はいろいろと挑戦したので、
ちょっとやってみたかっただけでした。
失礼をしました。

昨年は“勉強(学習)”がテーマで
新しいことに挑戦していきました。

私の今年のテーマは“芯”です。
昨年の経験を得て、自分の中の芯を確立させる
年にしたいです。
ご支援頂ければ幸いです。


2007年12月にホームページを開設して、
1ヶ月間のアクセス数は“608”アクセスでした。

最初の1ヶ月としては及第点かなっと思っています。
これから月に1万アクセスを目指して、
更新していこうという所存です。

先月は、『ホノルルマラソン』という大きな話題があったので、
書くことに困らなかったですが、
今年はより一層、個人的なメッセージの発信の場と
させて頂きたいと思っております。

ご覧頂いている方々への
新年の挨拶と今年の私の簡単な決意を述べさせてもらいました。

今後ともよろしくお願いします。
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2007年12月07日

当たり前のこと、簡単なこと

先日、後輩に夕食をご馳走した。
その場で後輩は「ありがとうございます」って
言って別れた。

たいていは、これで終わりだ。
後輩もこれで終わった。

ご馳走になってお礼を言うのは“当たり前のこと”
当たり前のことは当たり前のこと。
まずはその”当たり前のこと”が出来ることが大前提。

次には“簡単なこと”が出来るかどうかである。

簡単なことって?

次の日もお礼を言うことだ。

それは口頭だってメールだってよいと思う。
一言、「ありがとうございました」っていうだけ、
メールを書くだけ。
それだけで印象は違うんだ。

営業活動で、新たな顧客に訪問する。
その場で別れるときに、
「ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」
なんてのは、“当たり前のこと”

次の日、「昨日はありがとうございました」って
“簡単なこと”をメールでも書けるかどうか。

そう、簡単なことって面倒くさい。
営業で成績を挙げるためには、
顧客との信頼関係構築が不可欠だ。

信頼関係とは、
「信頼して〜〜」と言って、
信頼してもらえるものではない。
どれだけ簡単なことを当たり前のように出来るか、
その連続が信頼を生む。

なぜ信頼を生むか。

それは、みんな誰しもが

“簡単なことを当たり前にすることが
     難しいことを知っているから”

それを知らないのは、
難しいと意識していない未熟な僕らなのだ。




そして僕は今日も片付かない部屋で、
探し物を探している。
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2007年12月06日

サービス

2つのサービスのパターンを考えてみた。

『営業はサービス業??』

何か物を買うときは、
高いものを買うときほど、
ほしいものを買うときほど、
気持ちよく購入したいものだ。

先日、DoCoMoの905iを買おうと
ヨドバシカメラに立ち寄った。

接客した人はさほど対応よくなかったが、
買う気満々で行ったため、早々に購入手続きに入った。

名前や住所を書き終わった後に店員が話し始めた
「この機能入られますよね?
入らないと〇〇円増しになりますよー」

流れ作業だから仕方ないとはいえ、
あまりに購入者側を考えていない横柄な聞き方に僕は苛立った。

何度かその聞き方が続いた後、
どうもこのまま買うのは納得がいかなくなり、
僕は「少し考え直します」と言って、席をたった。

何でもお金を払うものは気持ちよく買いたい。
購買者にはそんな気持ちが必ずあるのだ。

営業の僕も身に染みる思いだ。

“自分がサービスを受ける”
これが最大の営業としての勉強になる。

『知り合いのサービス』

僕はたまに知り合いのサービスを受ける。
知り合ったから、サービスを受けてみる。
“もしかしたら、まけてくれるかもしない”なんて考えて、
行くことも多いだろう。

ついついそんなことをすることがある。
サービスを提供する側は来てくれた際に喜んで対応してくれる。
何て特をしたんだと思うだろう。

そう思っているうちは、
本当の知り合いではだなって感じる。
本当の知り合いとなれば、サービスに対し、
お金を払うことに惜しみなくなるだろう。
むしろ定価で、定価以上でサービスを受け、
応援することで、喜びを感じるだろう。

サービスを提供する側に僕が来て得したなぁって、嬉しいなって
少しでも思わせたいものだ。

たとえ割引になるとしても定価を払おう。

相手の喜び顔は自分へ幸せを運んでくれる。
「知り合いだから…」は自分に傲慢になっている証拠だ。

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2007年12月05日

ブログ開設しました。

これからブログを記載していきます。

暖かく見守ってください。


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