2010年04月11日

屈辱の感覚

屈辱の悔しい気持ちが人を成長させるというが、
やっぱり屈辱はつらいよなぁ。

屈辱と感じて、
寝れないくらい悔しい気持ちがあるだろう。
一夜、開けてみると、
少しだけ落ち着いて考えられることもある。

考えていくと、屈辱と感じることは、
「自分が出来る」と思うところや、
心の中で、「自分が行こう」と思っていたところで、
そこに対して、強烈な中傷だったりする。

自分はまだまだだなんて、
自己説得しながら、進んでいくか、
違う道を探すか。

僕らは時として、
大きな将来へ、アンカーを投げるように、
飛び込んでみたくなる時がある。

飛び込んだ先に、
誹謗中傷がある。

自分なりのタフさで、アンカーに繋がれた
ロープをよじ登っていこうとする。

アンカーの場所までたどり着けるだろうか。

たどり着いた時の達成感、
屈辱を覆す感覚を思い描いていけば、
たどり着けるだろう。

登れないときは、次のロープを探しに行こう。

どのように山を登るかは自由なのだから。
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2009年06月17日

期待する声

「やっぱり…」と
期待を裏切るなんて数知れず。

落ちては這い上がり、
上がっては叩かれ、
また窪み、
膨らませるよう努力して
自分の形を創っていく。

そんな泥臭く生きることが誇りに思えたら、
どんなに強い人になれるだろうか。

「頼むよ」と期待する声

その声が聞こえる方へ

僕と会ったすべての人が
僕を知っていることを自慢できるその日まで。
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2008年05月15日

モノ

僕らの周りにあるモノ・物・者

ふと気づくと、モノで溢れている。

いらない物・者。
いらなくなった物・者。
必要な物・者。
必要でなくなった物・者。

たくさんのモノに出会っては、
別れを繰り返していく。

昔、価値をなさなかったモノが、
今では有名なモノになっていたり。

むかし、すっごいなぁ〜と思っていたモノが、
今そこにあるモノだったり。

時間が育てるモノ、時間が腐敗させるモノ

今大事だからといってずっと大事であることはない。

でも不思議と自分の中で大切なモノがあったりする。

その大切なモノはずっと近くにいたりする。

ずっと捨てられないモノと
すぐに捨てるモノ。

そこに自分の芯があるのかもしれない。
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